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熱血!!特撮一直線  再録 「月光仮面」

2006年06月01日[19:04:26]
こんにちは。鹿特体の岩崎です。
今回は「月光仮面」について書きます。
これは、ミニコミ紙に掲載されたものの再録になります。

「月光仮面」
 日本のテレビ映画史の中で特撮作品に限らず国産テレビ映画を語るとき、
避けて通れない作品がその草分け的存在の「月光仮面」である。

本作品は昭和33年の放映(全5部・130話)以来、
映画やアニメなど何度かリメイクされてきた。
作品自体がエポックメイキングであった点も大きいが、
仏教にも造詣が深いといわれる原作者・川内康範氏
(レインボーマン、ダイヤモンド・アイも同氏原作)が視聴者に送ったメッセージでもある
「憎むな、殺すな、赦しましょう」という合言葉に裏打ちされた作品観が
人々に長年、支持されてきたからに他ならない。



 さて、その主題歌にも「誰もがみぃーんな知っている」
と歌われている有名な月光仮面だが、放映までの道程は決して平坦ではなかった。
当時、アメリカのテレビ映画の制作費が30分もので
700万円から1000万円といわれていたが、「月光仮面」のそれは
当初1本わずか15万円だった。
また、テレビ作品は〝電気紙芝居〟と馬鹿にされていた時代でもあったため、
制作母体の広告代理店、宣弘社が映画会社に企画を持っていったところ
一笑に付されて相手にしてもらえなかったというエピソードも残っている。
結局、一念発起した宣弘社が自社内に製作部門を立ち上げてスタートする。

 限られた予算枠でスタッフを編成、弱冠27歳で監督となった船床定男氏を筆頭に、
経験は少ないものの意欲ある若者たちが集められたのである。
また、主役の祝十郎(月光仮面)には
東映の大部屋俳優だった大瀬康一氏が抜擢された。
 
 上記の様に当初は超低予算作品であったため、撮影機材も満足なものではなかった。
カメラすらネジ巻き式で、1巻き28秒しか撮影できなかったという。
そのあおりでテンポの速いカッティングが生み出された。
また、予算上セットが組めずオールロケ、セットが必要な場合は
宣弘社社長宅を使ったのだそうだ。
さらに、月光仮面のターバンにマスク、サングラスという顔を覆ったいでたちは
いつでも代役がきくようにという配慮から考え出されたという。
このように低予算ながら創意工夫され意欲ある作品作りがなされた。
 
 こうして放映された番組はスタッフの熱意が通じてか爆発的に人気を呼んだ。
白マスクに白装束、オートバイを駆って悪を懲らす
月光仮面の勇姿に当時の子供達は熱狂した。

好評の中、全5部制作されたが、第3部の「マンモスコング編」は
テレビ界初のミニチュアによる特撮も行われている。
これは、月光仮面のお面が無許可で販売されていると聞いたスタッフがオモチャ店に視察に行った折、精巧にできた車のオモチャを見つけたのが発端だったという。

 視聴率的には最高68%と現在では考えられないほど高く、
放映時間帯には子供の姿が銭湯から消えるという「君の名は」と
同じような社会現象を起こしながら、「月光仮面」の放映期間は
1年半余りと以外に短い。

これは、荒唐無稽で教育上よろしくないと批判されたり、
子供がまねて高いところから飛び降りてケガをするという
不幸な事故が続発し(ライダーの時も同様の事故が多発、PTA等で問題となった)、
社会的な風当たりが強くなったのも理由のひとつだった。

 しかし、「月光仮面」の大成功が国産テレビ映画制作の起爆剤となり、
大手映画会社がテレビ作品制作に進出するきっかけとなった。

まさに、本作品こそ国産テレビ映画の元祖と呼ぶにふさわしい作品なのである。     
               (鹿児島特撮映像研究団体  岩崎) 
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